82nd.浅間ミーティング・スピリッツ参加のバイク達・「いえろー・ぺりる」
〜 戸井田さんのレポートです 〜



今回のスピリッツ。テーマは『黄色いバイク」新しい切り口ですが、さてどんなバイクが集まったでしょうか?


KAWASAKI エストレア RS カスタム 249cc 2005年式
「エストレア RS」のクロームバージョンをライトカスタムした。と言うことなのでしょうか。「エストレア RS カスタム」というモデルもあるけど、そっちはドラムだし、製造年度も違うから、きっとそういう事だと思います。
W650、800のシリーズが、W1をモチーフにしたとすると、こちらはメグロの短気筒をモチーフにしたという事になるのかな?レトロデザインのシリーズですね。
尖ったところは無いけれど、マイルドで乗りやすいバイクです。我が家にも一時期カーチャン用として住んでいたことがあります。

個人的にはこういったレトロっぽい新車。というのはあんまりピンと来ないなあと思っていたら最近のニューモデルは、レトロとまでは行かないまでも若い頃に何処かで見たようなバイクばかりになっちゃいましたね。一定の人気はあるのでしょう。よく見かけます。
カワサキがW650を作るときに、故浅場大先輩に面白いエピソードを聞いたことがあるのですが、それは以前のデレガンス記事に書いたので、ここでは省略(笑)。


KAWASAKI A7B 350cc 1971年式
オートバイメーカーとしては最後発に当たるカワサキが、ロードレースに参戦したのが1965年の日本GP。 そのマシン、KACスペシャルをベースに開発されたのが250ccロータリーディスクバルブで31ps.のA1。 同じフレームに338ccまでボアアップした、圧縮比7.0:1で40.5ps,のエンジンを搭載し、結果0-400mはW1と一緒という高性能モデルがA7という事になります。
今回登場のA7Bというのは、A7S(A7の特別仕様車)のグラフィックをマッハと同じモチーフに変更したモデル。それ以前はプレスフレームの小型実用車の経験しか無かったカワサキ初のダブルクレードルフレームを開発したのは、旧目黒製作所のスタッフだったといいます。

このA7も、後継車種のマッハも、ハイパワーの2ストロークエンジンによる圧倒的な動力性能を誇っていたので、峠の王者かと思いきや、強烈な白煙を吹くので皆でツーリングなんて時には「臭い、後ろを走るとオイルで汚れるから、前を走るな。(実際後ろに付くと、あっちこっちに黒い点々が付きます。)」と言う訳で、いっつも列では最後尾。フル加速で走れるのは、○バイから逃げるときだけだったのはナイショ(笑)。

ちなみにオーナーさん家は我が家の猫のご実家さんです。


SUZUKI ハスラー TS400 390cc
このハスラー400、年式不明とのことですが、前後アルミリムで強制開閉だから1976年の6型ではないかと推察されますが、ちがうかな?
そうだとするとパワーウエイトレシオは先ほどのA7BやCB750と変わらないという、オフ車としてはとんでもない馬鹿力。その上車重はオンロードの250なみ。
一時期最終型を所有していたことがあるのですが、私の腕ではとてもオフなんか走れません。オンロードでは最強でしたね。
先ほどのA7アベンジャーにしても、このハスラーにしてもなんでこう、強そうと言えば強そうだけど、あまりお上品とは言えない名前が付くんでしょうね?

オーナーさんは浅間じゃ有名人。私が浅間の会員になるきっかけを作った方でもあります。以前お住まいである四国から名産品を送っていただいたことがあるのですが、ホンダの純正品の箱に入れてあったもんだからカーチャンから「また何か買ったの!」って疑われたっけ。


BMW  R1200GS 1160cc 2008年式
R259系OHCボクサー最後のモデル。R80から始まったGSも、どんどん巨大化電子化がすすみ、無人の荒野を何処までも。というには複雑になりすぎた気がします。この前のモデルである1150GSは、私の足がぶっ壊れるまでの10年ちょっと私の足だったわけですが、旅の道具としては絶大な信頼感があり、疲れず速いバイクでした。その後1200になると軽量化が進み、さらに素晴らしい旅バイクに進化しました。
同時にドライブコンピューター、サスペンションのモード切替を初めとした電子デバイスがどんどん増えたのですが、中にはなくても良いんじゃないの?と思える装備もあるんですよね。

例えば、1200ではサイドスタンドが出ているとエンジンがかからないのですが、イアン・マグレガーの LONG WAY DOWN「アフリカ縦断バイクの旅」(GS乗りなら一度は見たことがあるでしょう?)というドキュメンタリー番組で、アフリカのど真ん中でここのスイッチが逝かれて立ち往生。原因を発見した後、衛星電話でモトラッド本社へ連絡し、バイパスする方法を教えてもらう。というエピソードがあるのですが、その間中、マグレガー氏は「なんでアドベンチャーバイクにこんなものが付いているんだよ!」とぼやき続けてましたっけ。


HONDA CB400Four 398cc 1976年式
(写真提供ミヤタツグオ)
1969年8月に衝撃のデビューを果たしたCB750Fourですが、当時の日本人には巨大でパワフル、そして高価(当時新車で385,000円)だったので、一廻り小さく取り回しの楽なモデルとして1971年に発売されたのがCB500Four。確かに車重は39Kg軽くなったのですが値段はそこまで軽くならない。(335,000円)。で4気筒のベーシックモデルとして1972年にCB350Fourが発売。(265,000円)
『750に乗ろうとして、皆に「殿!ご乱心を!」で止められ、乗せて貰えなかった宗一郎さんが「750がダメなら俺が乗っても良い4気筒を作れ!」といったから出来たバイクだという、目黒の秋刀魚みたいな都市伝説がありますが、私的にはそちらに1票。』
でもね、遅かったんだよね。馬力こそ34psと結構速そうだけどマイルドでフラットトルクを目指したセッティングは、体感的には開けても開けても回らない。
実際、フラットトルクになればなるほど、実際の数字とは事なり、上の方ではパワーが出ていないと感じる物なんです。
でもって72年に発売されたのが「おお400!おまえは風だ。」って訳です。

408ccで37ps。ソリッドカラーにエンブレムではなくステッカーのロゴ。4into1の集合マフラーにコンチハンドル、リンク式のバックステップと言った、自分でやったら違法改造で切符を切られる装備がやたらと付いてるズルイバイクでした。
ところが、1975年に免許制度が変わって中型免許なんてものが出来ちゃった。それに合わせてストロークを1.2mm短くしたのが398ccの黄色いCB400FourT「お前が好きだ」と言うわけでごじゃりまする。ああ、長かった(笑)。
実際乗ってみると本当にパワー感があるのは上2,000rpm位。車齢を無視してそこまで回し、6速ミッションを駆使して走り回れば面白いバイクではありますが、現代の基準では重くて、何より脚が短い。14Lタンクがすぐに空になっちゃいます。
ところで、アップハンドルのCB400FourUと言うのがあるのですが、見たことが無いのか一見区別がつかないのか識別出来ていません。誰か持ってませんか?

ライダーではありませんが、エントラントとして前に出ていたので、写真はミヤタさんにお願いしました。


DUCATI SS900ie 900cc 1998年式
ドカティストの皆様には申し訳ありませんが、モダンDUCATIは苦手なんです。私の中ではMHR辺りで時が止まっていて、それ以降のモデルにはあまり魅力を感じません。何故なんでしょう?触ると壊しそうで怖いのかな?確かに細かいところまで追い込んだ、DUCATIならではの構造(良くあんなところにキャブ埋め込んだよな。見たいな。)は凄いとは思うのですが、私みたいな人間には繊細すぎるのかも知れません。雑誌の記事ならそうも行かないんでしょうが、これは個人のBlogなんで許して下さい。

どう考えても私が乗って似合うバイクでは無いので、恐れ多いのだと思います。


NORTON COMMANDO MK.V 改 828cc 1976年式
NORTON COMMANDO 750 745cc 1972年式
2台並んで超趣味人の持ち物ですが、同じコマンドでもそれぞれオーナーの個性を反映していて、片ややんちゃな暴れん坊、方や優しい家庭人。バイクは体を表すですね。一見懐かしのXLシリーズオフローダーに見えるけど、実は手軽なトレッキングバイクとして、旅の友となるべく作られたモデル。実際メーカー型番は、ロードモデル扱い。成り立ちは、海外輸出用の農業バイクCT200から、前後の大型キャリアを取り外してFTR223のタンクを乗っけたもの。

27番の方は前回に引き続き連続参加。

7番は今回久しぶりですが、どちらも再登場私のBlogでも何回目かの登場になります。
20年来私の仕事上のパートナーである女性によると「職人的類友」というのがあるそうで、例えば電気工事屋さん、庭師さん、印刷屋さん等々、私が連れてくるスペシャリストには、共通した職人的匂いがするんだそうです。そうゆう類が友を呼んでくるので、多分任せて安心なのだろうと思うんだって。このお二人もまさしくそうで、片や技術系、片や伝統工芸系ではありますが、確かに「職人的類友」。

良く考えたら俺たちバイク乗りって皆そうだよね、大なり小なり。
このお二人、実は路上修理の大先輩でもありまして。7番のお方と始めてゆっくりお話ししたのは、確か雨の中での路上修理だったかと?今回めでたく私も仲間入りさせていただいたわけですが、ミーティングの最後を締めくくったのも実は路上修理でありました。
あれ、バイクの話をしてないぞ?(笑)


PIAGGIO VESPA125 PRIMAVERA ET3 121.1cc 1978年式
最初のベスパが登場したのは1946年、それから現在まで生産が続いているのだから歴史も古くその分生産車種もたくさん。
車体は50,90から始まる「スモールボディ」とPシリーズなんかの「ラージボディ」がありますが、一般的に日本で「VESPA」と言えばスモールボディ。このプリマベーラもそうです。
1978年式となっていますが生産開始は1967年。70年代半ばに第2世代に進化して、最終的には1983年まで生産されますが、これはどっちかな?エンブレムは第1世代なんだけど、外装は結句いじってあってベスパ素人には良くわかりません。まあ、イタリア製だから、細かいことは良いか。ボディカラーはルノーだし。エンジンはすこぶる調子がよさそうでした。

ところで、この回のMCは歴史に残る楽しさでしたね。


PIAGGIO CIAO-P 49.3cc 1967年式
ベスパと同じピアッジオのモペッド。 ヨーロッパでは2013年まで、制限はあったものの、ペダル付きのモペッドは基本登録のみで免許が無くても乗れたので、変なものが多かった。以前のBlogでも書きましたが、ディスクブレーキでSS50なんてのもありました。SS50ではないけれどホンダ製のペダル付き50ccスポーツの生産に携わっていた浅間の先輩によれば、とてもペダルでなんか乗れなかったそうですが。

このCIAO-Pは49.3ccの混合給油。ペダルを踏んでエンジンをかけるタイプ。日本で登録するには、ウインカーやらリフレクターやら色々付けなくてはならないんですが、本来はもっとシンプル。のんびりトコトコが似合います。


HONDA モトコンポ 49cc 1981年式
同年代のホンダシティのトランクに、横にしてぴったり詰めるように作られたユニークなバイク。4輪のディーラーには、専用の四角い段ボール箱で納品されたこともあり、シティ専用のオプションだと思われ、シティを持ってないと買えないものと誤解されたようで、当時はたくさん売れ残っちゃった様ですね。バイクだけでも買えたのに。
横にして積むときには倒す方向があって、「こっちが上」の矢印ステッカーが貼ってあったりします。2ストローク2.5psのエンジンコンポーネントは、ラッタッタで有名なロードパルと一緒で実にシンプル。ヘッドをバラすと、パッキン類は別にして、パーツは5つしかありません。
動力性能はスペック通り。最高速は40km/hちょっと。当時のCGで何故か0-400を測ったりしているのですが、足でパタパタ補助してやると2秒は速くなったとか?

オーナーさんが実演してくれましたが、折りたたみ機構は良く出来ていていとも簡単にたためちゃいます。このバイク、例のミニパト2人組が居なかったら、ここまで人気にはならなかったかな?


SUZUKI チョイノリ 49cc 2007年式
まるでデザインスタディをそのまま形にしちゃった様なバイクが「チョイノリ」構造はとにかくシンプル。何処まで安く作れるかを追求したバイクですが、ラインに乗るとは作った人もおもってなかったんじゃないかしら?
エンジンは汎用ベースの飛沫循環!OHVで、49ccモトコンポよりもさらに非力な2ps.リアはリジットでヘッドライトはハイビーム無し。日本の主要メーカーが量産したバイクの中では最低スペックを誇ります。
元々バイク屋さんがやると何故か失敗するマーケティング(Nさんゴメン)という奴によれば、平均的原付ユーザーの移動距離が1回2km以下だ!と言うところから出発したそうで。そんでもってこんなバイクが出来ちゃった。
会場でオーナーさんも言っていましたが、初期のモデルは材質の選定が???なパーツも多かったようですが、発売の翌年からはパーツの見直しが行われ、リライアビリティーは上がったようです。
こんなバイクはよほどの鈴菌感染者でも無ければ買わないのでは?と思ったら10万台以上売れてるんですね。税込59,800円と中国製原チャより安かったからかな?余りにシンプルな造りのエンジンは、自動車排出ガス規制の強化についていけず、生産中止となります。

そういえば、こいつで長距離ツーリングっていうどMな企画って結構あったよね。


昌和制作所 ライトクルーザーSL 工場レーサー 125cc 1959年式
今回エキジビション参加の宝石。第3回浅間火山灰レースの出場車両そのものです。
レース出場を目指して5台だけ作られてから36年。

オーナーさんの情熱と根気で、再び火が入ったマシンからは乾いた綺麗な音を聞かせていただきました。
このバイクについての詳しい経緯は雑誌オールドタイマーの22号にオーナーさんご自身の熱い言葉で語られていますので、ここであらためて語ることは控えます。


こういうバイクに火を入れ、出来ればし走らせる、その事の素晴らしさに皆が拍手を送る場としての浅間ミーティングがこれからも続いていくことを強く願います。その為なら、多少段取りが狂おうが、時間が遅くなろうが、間口が狭くならないことを願います。

一度でもレストアしたバイクをミーティングに持ち込んだことがある方はわかると思います。年に2回のミーティングに持って行く、間に合わせる。という事がどれだけ復活のモチベーションになるかを。


おまけの1台
モトグッチ ルマンV NAKAOKI SPECIAL
浅間で黄色いバイクと言ったこれだろう!と思っていたら、やっぱり持ってきてくれました。ありがとう!
中沖さんの身体に合わせて、ルマンVのエンジンを使って造ったオーダーメイドのバイク。直線大好き、高速コーナー大好きの中沖さんにぴったりのバイクでしたね。「シートレールが折れるから、お前は絶対乗っちゃ駄目!」って言われてたんだけど、実は黙ってちょこっと乗ったことあり。

さて、春にはどんなバイクにあえるんでしょう?今から楽しみです。
デレガンス、出るのも楽しいんですよね。さてどうしようかな?

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終わる