【 戸井田さんのレポートです 】(写真を追加)
2023年10月20日

96th 浅間ミーティング
スピリッツ オブ スクーター



雨の中行われた秋の浅間ミーティング、春のデレガンスと違い、秋はテーマを決めての「スピリッツ」として開催されます、今回のテーマはスクーター。

そもそもスクーターっちゃ何?と言う事については、昭和28年に通商産業省(当時)が定めた定義では「原動機を座席の下に設け、前方に足踏台のある、車輪の直径が22インチ以下であるような2輪自動車」なんだそうで、これによれば座席の下にエンジンが無いものや、三輪はスクーターじゃ無いんだね。

日本でこの基準で最初に作られたスクーターは、ラビットとシルバーピジョン。世界的に広めたのがベスパだから、浅間でスクーターと言えば、ベスパとラビットがズラズラ並ぶと思いきや、一ひねりも二ひねりもしたバイクが並びました。まあ、中にはひねりすぎって言うのも並んだのですが。さて。

ランブレッタ J125 スターストリーム 122cc 1966年



1922年にフェルディナンドイノチェンティがローマに鋼管工場を建設したのが始まり。1931年に工場をミラノに建設し、成功を収めたんだけど、第二次世界大戦中に工場は重爆撃によりボコボコにされる。破壊された工場の調査で、イノチェンティは手軽に移動する手段として、低価格で天候にも左右されず、誰でも運転できるオートバイとしてスクーターの製造を決めたといわれています。その後長い間あって、1947年にランブレッタを創設。事業は成功し、フランスのフェンウィックグループ、ドイツ、スペイン、インドの、台湾、ブラジル、コロンビア、アルゼンチン、チリなど、あっちこっちでライセンス生産を始めている。1960年代になると、ヨーロッパの富裕層が増加、需要は小型車に移行。ランブレッタの部門は親会社イノチェンティで財政難の元となっちゃう。そこでBLMCが、製品と技術者ごと獲得。BLMCのライセンス下でイノチェンティを製造する契約を取るんだけど上手くいかず、1971年にはランブレッタの製造を中止、1972年にはミラノ工場とランブレッタの名の権利はインド政府に買収され、SIL(スクーターズ・インディア・リミテッド)に移る。1964年発売の「J125 スターストリーム」。Jは「ジュニア」のJ、大型のLIシリーズより低価格で、シンプル軽量の筈だったんだけど、最初のモデルJ100は、市場調査で100ccが理想的なエンジン・サイズであると予測されていたにもかかわらず、でかかった。そのためすぐにJ 125と呼ばれる125ccバージョンが登場。両モデルともデュアルシート、3速ギアボックス、3.00 10ホイールを装備。チェント(100)の出力は4.7ps、J 125は5.8ps。が細くなり、シートが変更され、"Stellina "のバッジが付けられた。エンジンはJ 125とほぼ同じだが、4速ギアボックスが採用された。1966年5月から、J 125はJ 125スターストリームと呼ばれるフェイスリフト・バージョンに進化。それがこのモデル。スーパースターストリームは、英国市場のみで生産された特別バージョン。新しい4速ギアボックスのおかげで、スターストリームとスーパースターストリームは先代モデルよりも加速が格段に速くなり、最高速度は87km/hに達した。



スターストリームとスーパースターストリームは、1966年4月に生産を終了。これは最終生産型と言う事になる。

富士重工 ラビットハイスーパー S211 87cc 1968年



富士重工の前身は「隼」「呑龍」などで有名な、中島飛行機。1945年に富士重工に改名し、1946年に生産を開始する。当初GHQから許可が下りたのが、試作車20台。何せ元が中島飛行機だから、許可を取るのはたいへんだったろうなあ。これが最初のラビットとなる。良く、戦後に余った爆撃機銀河の尾輪を流用したと言われているけど、これは伝説。航空機用の尾輪は溝がないスリックタイヤなので、実際に流用されたのは試作2号車までで、その後はトレッドパターンが刻まれた3.50-5タイヤ。



また、その構成からベスパを参考にしたと思われがちだけど、元になったのはたまたま戦前に下請けが持ち込んでいた、米国製のパウエル・ストリームライナー。

1947年に135cSOHC短気筒エンジンを搭載し、538台が生産されたラビット初の量産モデルがS-1。

これを皮切りに、合計32タイプのラビットが生産される。

一部モデルは海外へも輸出されたが、一般家庭への自動車の普及やスーパーカブの台頭などもあり、1968年6月末をもって生産を終了。

このS211は最後のモデルとなる。
良くS211はもっともラビットらしくないラビットと言われるが、エントリー車両はさらにラビットらしく無いかも?でもね、チャンバーやら、フォグやらはともかく、ラリー車製造部門のSTIはスバルのロゴを使っているので、まあ、正当と言えなくもない。ただチャンバーはここでくねっていてもパワーは出ないと思う。オーナーも付けると帰って遅くなると言ってました。

ヤマハ ベルーガ80 79cc 1981年



マシントラブルで走行できず。オーナーさんとも久しぶりにお話し出来ると思ったのに、緊急メンテでお話し出来ずでした、今回の参加者の中では一番まとも?だったのに、残念でしたね。

CMキャラクターに渡辺貞夫を起用した。ヤマハ初の本格スクーター。男性がゆったり乗れる大型の車体で、ヤマハの最上級スクーターという位置付けであった。

トランスミッションはVベルト式無段変速機で、全車にセルスターターを採用。エンジンは2ストローク単気筒で79t、5.0psと、49t、3.8psのベルーガ50とがありました。

ミーティング終了直前にやっと一周したのですが、写真撮れずに済みません。

ホンダ RoadFox 49cc 1984年





最初に書いた国土交通省の基準からするとスクーターとは呼べない三輪車。1984年発売の、2輪車の特長を損なうことなく、4輪車居住性・快適性を合わせもつ備えた新しいカテゴリーの乗りもの何だそうである。前1輪・後2輪のスクーターだからスリーターと、メーカーはスクーターだと主張しています。1981年に発売されたストリームから数えて5番目の排気量49tの原付三輪車。チャンバータイプのマフラーを装着し、最高出力4.0psとわずかながらの向上が。他シリーズのバックボーン型から変更してバイブ構成のパラレルフレームを採用し、バケットタイプシートや後輪に4.50-6インチのワイドタイヤを装着するなど三輪バギータイプのスタイルが特徴。名前の由来は、チャンバーカバーがキツネの尻尾みたいだからだと言われてますが、これをスクーターと言い切ってしますのは・・・?

スズキ ハイ 49cc 1988年 ???



これは一体何だろう?オーナーさんはスクーターだと言っていますが?「原動機を座席の下に設け、前方に足踏台のある、車輪の直径が22インチ以下であるような2輪自動車」と言う基準に合わないのは「前方に足踏台のある」という項目のみ。後はどう見てもレーサー。サーキット内の移動には最速なんだそうである。(そりゃあそうだ)いかにも速そうなどう見てもCUSTOMのマフラーから乾いた音を上げ、とてつもなく速そう。いや、実際速いんだと思う。それにしても元が原付少年御用達のごくごく辺り換えのスクーターから、ここまでやってしまうセンスと技術には、舌を巻いてしまいます。後はじっくり眺めてください。



PIAGGIO VESPA ET3 124cc 1996年



航空機メーカーだったピアッジオが、戦後の復興期のイタリアで民需転のために開発された小型スクーターがベスパ(スズメバチ←ブンブンうるさい2ストロークだから?)。

最初のベスパは1946年に登場。当時としては画期的なスチールモノコックや駆動部まで一体化されたスイングユニットのエンジンを備えていました。モノコック構造や片持ちの前輪などは、航空機技術の応用。

後に、インドや東南アジア各国でライセンス生産され、今でも生産されています。1980年にはパリダカにP200がワークス参戦4台中2台が完走しています。



今回エントリーしたET3と、友情搬送のお二人は、どちらも古くからの浅間メンバー。特に後続のH氏は創設メンバーのお一人で、中沖初代理事長と、「お互い100回まで参加出来ると良いね」とお話しされていたそうです。初代理事長が果たせなかった夢まで、あと2年これからもベスパとともにお元気で走り続けられて、100回でお会いすることを楽しみにしています。

ホンダ PS250 249cc 2005年



「ラフ」「タフ」「ブコツ」をキーワードにシンプルでありながら様々な用途で使える「道具」を目指してホンダが2005年に発売されたNプロジェクト第5弾。プロジェクトの最後に作ったスクーター。ベースになったのは250ccスクーター「フォーサイト」水冷4ストロークSOHC短気筒エンジン、前後連動のコンビブレーキ・オプションでイモビラーザーが装備できるプレワイヤリングなど多くのコンポーネンツを共有しています。元になったフォーサイトが、かなりスリークなデザインなのに、こちらは真逆のデザイン。様々な実用装備を持ってます。写真には見える背もたれは、実はリアシートで10段階に変更可能で、一番上げるとこんな風になって、デカイ荷台が現れる。まるでBMWのR1150GSみたいな装備。最もBMWは取り外し式でバックレストにはなりません。2005年にマイナーチェンジで丸形2灯のヘッドライトになります。



さて、Nプロジェクトと言って思い出されるのは、長年ミーティングの運営にともにかかわった故N君の最後の職場。まだミーティングがハイロンのグラウンドで開催されていた頃は、ライン引き等、会場設計のベテラン「マス書きのプロ」でした。そんな彼が、慣れない仕事に疲れ、病に冒され、結果色々なものを失って、若くしてこの世を去ってしまいました。けして幸せな晩年でとは言えなかったとは思いますが、最後まで明るく振る舞っていたっけ。浅間ミーティングクラブで知り合い、幾晩もともに過ごした良き友でした。謹んでご冥福をお祈りいたします。

ヤマハ マジェスティ 249cc 2001年



我らがクラブサイト、管理人さんの忠実な足、ヤマハのマジェスティ。今回のスピリッツ参加者の中では、一番普通なスクーターかも?

スクーターってのは趣味性と実用性をバランスさせた乗り物として捉えると、1に信頼性。2にスタイルだと思いますが、その辺のバランスはとても良いチョイスだと思います。実は我が家にもスカイウエーブ250が奥様用に1台住んでいるのですが、250のスクーターって、とても使い勝手が良いのですよね。手軽な分カスタムも多いのですが、手軽すぎるのか、やり過ぎ感が強すぎるのばかり。あえて言いますが、使い倒すならノーマルが一番。管理人さんのように、趣味性の高いバイクのサブとしてはこういうのが一番だと思います。

それにしても、日本の免許制度は何とかならないんですかね?難易度が高いのは良いのだけれど、免許取得にお金がかかりすぎると思いませんか?若いやつが乗ると危険な走りで事故だらけになる。と言う理屈がありますが、実は逆で事象ベテランが一番危ない。って言うのは証明済みだと思うんですけどね。


さて、今回のスピリッツ・オブ・スクーターはこれでおしまい。来年の春、97thはテーマ無し。誰でもどうぞのデレガンスです。また色々なバイクに出会えるのを楽しみにしています。


終わる